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vol.3 立川市史編さん広報紙「たちかわ物語」 | 立川市

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Academic year: 2018

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(1)

あの日みた

たちかわ

平成29(201₇)年は、陸軍飛行場の開設から95年、米軍基地の全面返還から40年の節目となります。その間 立川は、戦後復興・高度成長の時代を経て飛躍的な成長を遂げました。そしていま立川は、商業や文化の中心 として人々が行き交う「交流都市」として、新たな姿を見せています。皆さんも先人たちが遺した成長の軌跡 を訪ね歩き、立川の来し方・行く末に想いを馳せてみませんか。

・新しい市史の編さんによせて ...2 ・部会短信 ...3 ・市史のつくりかた∼資料整理の現場から∼ ...4∼5 ・部会特集(現代部会)

立川駅北東エリアを歩く ...6∼7

・平成28年10月∼平成29年3月活動報告 ...11 ・資料提供のお願い/受贈図書・資料提供者 ...11 ・市史編さん関連講演会のご報告とおしらせ ...12 *連載* 資料をよむ

∼歴史民俗資料館所蔵の竹内氏寄贈縄文遺物から∼ ...8∼10

写真提供 ①~③、⑤、⑥歴史民俗資料館所蔵 ④ SKIDMORE 氏寄贈

3

Mar.2017

あの日みた

たちかわ

あの日みた

たちかわ

①けやき台団地の入居(昭和₄₀年代頃)

②栄緑地の旧引込線(昭和₄₃(₁₉₆₈)年頃)

⑥立川キネマ(大正時代) ⑤立川競輪場(昭和₃₆(₁₉₆₁)年)

④米軍基地正門前(昭和₄₂(₁₉₆₇)年)

③米軍基地跡地に現在のファーレ立川ができるまで

(2)

新しい市史の編さんによせて

立川市史編さん委員の和田哲さん、杉山章子さんに、新しい立川市史に寄せる思いをうかがいました。

新立川市史に考古学的成果の反映を!

 (和田 哲 編さん委員)

昭和44(1969)年『立川市史』刊行から約半世紀がすぎ、この間地域史の研究も進み、新 立川市史では各分野の内容が一新された成果が期待される。私は考古学の視点から立川の歴 史を研究してきたが、近年の考古学調査や学術的発展は目覚ましいものがあり、大規模開発 に伴う調査や、理化学的分析手法の飛躍的進展の成果が統合されて叙述されることを楽しみ にしている。

旧市史では旧石器時代の砂川地区採集資料、縄文時代では大和田遺跡(柴崎町)の竪穴、

敷石住居数軒の調査記録や、向郷遺跡(錦町~羽衣町)の若干の採集品を中心に記述されていたに過ぎない。 その後、大和田遺跡では縄文時代早期初頭(約1万年前)の集落が調査され、向郷遺跡でも多くの調査が行わ れ、今では縄文時代中期(約4千5百年前)屈指の大環状集落と評価されるに至っている。

古代では旧立川警察署跡地の調査で役所的性格の大形掘立柱建物跡、中近世でも平成7(1995)年に火災で 焼失した普済寺再建に伴う調査で数々の成果があり、旧市史の内容を大きく変える結果が得られ、それらを反 映した叙述が求められる。

また、新市史には充実した資料編が予定されており、研究者には今後の活用が期待される。他方、市史は単 なる学術書とは異なり、広く一般市民に向けた平易でバランスの取れた内容が要求されよう。

島で出会った「立川」

 (杉山 章子 編さん委員)

「団結道場」は思っていたより大きくしっかりした建物だった。使われなくなって久し いのだろう。荒れてはいるが「廃墟」というイメージはない。鉄筋コンクリートの壁には 「土地を返せ ここは私たちの国 私たちの村 私たちの土地だ」と米軍へ向けた農民たち

の訴えが大書されている。

この建物が砂川闘争の「団結小屋」をヒントに誕生したことを教えてくれたのは『米軍と 農民』(岩波新書)である。著者の阿波根昌鴻さんは、沖縄県伊江島で、米軍に接収された

耕地を取り戻す運動を牽引してきた人だ。巨大な米軍と互角に闘うための理論を身につけようと、上京して学 習中に砂川を訪れたという。

伊江島に赴き、今から約半世紀前に生まれた砂川と沖縄との接点を目の当たりにした時、地域の歴史の広が りを改めて実感した。「立川市史」は、さまざまな他地域とのつながりの中で紡がれてきた。米軍統治下の戦 後初期「Tachikawa」は「米国史」(「世界史」)の一部であったともいえるし、近世・近代の「立川」は、江 戸・東京に向かう多くの人と情報が行きかう要衝として「日本史」の重要な構成要素であった。

(3)

部会短信

(平成28(2016)年度後期)

近代部会

近代部会では資料編の章立て や各巻刊行までの作業・工程の 見直しを行い、これまでの概要 調査から、刊行を見据えたより 本格的な作業を開始しました。 具体的には、砂川村役場文書・ 立川村役場文書の調査を進め、 資料編に掲載する候補史料の選 定作業を進めています。

加えて、昨年末には事務局が 整理を進めている私家文書の確 認作業も行いました。私家文書 は運送・物流に関わる史料が集 まりつつあり、公文書とあわせ て甲武鉄道開通以降、駅がター ミナル化されていく中で変化す る地域の様子を捉えることがで きそうです。

現代部会

昭和20(1945)年の終戦から 昭和38(1963)年の立川・砂川 合併までを扱う現代資料編① (平成31(2019)年度予定)の 刊行に向け、歴史民俗資料館・ 国立国会図書館・東京都公文書 館を中心に資料調査を進めなが ら、新聞記事の見出しデータ入 力を継続しています。

上記の調査と並行して、立川 のまちづくり・社会教育・砂川 闘争について関係者からの聞き 取りを行い、公文書などの文字 資料からはうかがえない歴史の 一端を把握することにつとめ ました。また、10月16日には、 JR中央線南側エリアを中心 に、近現代の街並みの変遷を知 るための巡見を行いました。

民俗・地誌部会

7月にこぶし会館、10月に滝 ノ上会館で座談会を開き、地区 の方々に集まっていただいて話 をお聞きしました。また、諏訪 神社、阿豆佐味天神社、熊野神 社をはじめとする市内各所の神 社のお祭りや普済寺、流泉寺の 施餓鬼会などを拝見しました。 平成31(2019)年度に刊行予定 の民俗・地誌資料編①に向け て、個別調査も進めています。 今年度は100件ほどの行事調査、 個別調査をしました。お世話に なった方々に厚く御礼申し上げ ます。今後も継続して調査しま すので、皆様の所へ委員が伺う ことがあると思います。これか らもどうぞよろしくお願いしま す。

先史部会

7月から、向郷遺跡出土の竹 内氏寄贈資料の整理を始めまし た。寄贈資料は縄文時代の土器 と打製石斧などの石器であり、 歴史民俗資料館で展示されてい る一部の資料の他に、遺物整理 用コンテナで50箱ほどの分量が あります。整理の結果、土器は 中期中葉の勝坂式が大半を占め ていることが確認されました。 完形品になる土器も確認された ことから、資料館の協力を得て、 これまでに10個体を復元・修復 しています。また現在は、土器 と石器の実測を進めています。 整理の成果は報告書として刊 行する予定です。「資料をよむ」 (P8~10)もご参照下さい。

古代・中世部会

立川に関連する史料の収集作 業と、石造物・経典の調査を進 めています。石造物調査は、市 内の寺院・個人宅や歴史民俗資 料館にて行いました。古いもの では、鎌倉・南北朝時代の銘が あるものを確認しました。

また、東洋文庫(東京都文京 区)にて武蔵国で最古の刊経で ある「普済寺版」の調査をしま した。南北朝時代に普済寺で刊 行された経典は「普済寺版」と 呼ばれ、行間には寄付をした立 川にゆかりのある人々の名が多 く刷り込まれています。鎌倉・ 南北朝時代の立川の様相を知る 貴重な調査を行うことができま した。

近世部会

近世部会では、歴史民俗資料 館から借用している資料の整理 作業を引き続き進めるととも に、富士見町の民家の蔵出し作 業や柴崎町の民家に所在する資 料を借用するなど、資料の受け 入れ作業も並行して行っていま す。現在は、それら資料群の整 理作業も進めています。また、 市外の資料保存利用機関へ調査 に出向き、江戸時代の立川市域 に関する資料情報の収集作業に も力を入れています。

定期的に開催される部会で は、各編集委員の日頃の調査成 果を報告する「研究小報告会」 を行うなど、資料編の刊行や通 史編の執筆を見据えて少しずつ 準備を進めています。

(4)

封筒詰めと

番号付与

受け入れ

整理前状況の

把握

市史のつくりかた

∼資料整理の現場から∼

資料整理は、所蔵するお宅の資料を受 け入れるところから始まります。所蔵 するお宅によって文書の量や、保管状 況は異なりますが、蔵や母屋などで保 管されていることが多いです。事前に 量や保管状況を調査したうえで、受け 入れ作業を行います。

市史編さんを進める前段階で最も大切な仕事のひとつに、収集資料をきちんと整理する作業があ

ります。資料整理が進まないと、資料を効率的に活用することができず、資料編や通史編の刊行に

影響を及ぼしかねません。

資料整理は、市史編さんの基礎的な仕事ですが、一朝一夕にできるものではありません。調査員

が日々地道に作業を続けることによって、少しずつ成果があがっていくものです。今回は、資料整

理の様子を作業の流れに沿ってご紹介します。

資料整理に関する三原則のひとつ。

出所(受け入れ元)が同じ資料群は、受け入れ元の組織や団体、個人の活動記録が集合したものです。資料群には、そ れらが形成されるきっかけとなった出来事があり、かつそれらが残されてきた経緯があります。従ってその資料群が置 かれている状態には、受け入れ元の活動の痕跡が反映されていると言うことができるため、その状態(原秩序)を尊重 しなくてはなりません。この原則に沿って、資料の封筒詰めや番号の付与が行われていきます。

ボールペンはNG。 大事な資料にイン クが付いてしまう 恐れがあります。 芯 が 折 れ や す い シャープペンシル の利用も避けます。

資料はとても破れ やすく、爪で引っ 掛けて傷つけない よう注意します。 女性のネイルアー トも、欠けたパー ツが資料に入る恐 れがあるので禁止 です。

爪と同様、資料を 傷つける恐れがあ るので外します。 落下の恐れのある イヤリングやネッ クレスも同様です。

意外にも、綿の手 袋を着けるよりも 素手での作業の方 が資料を傷めませ ん。行う作業に応 じて着けたり外し たりします。

文字の記入には

鉛筆を使う

※原

げん

ちつ

じょ

尊重の原則

実際に資料に触れる調査員の手元に注目してみました。

爪は短く切る

腕時計・装飾品

は厳禁

じて装着

手袋は資料に応

資料が置かれていた場所がわかるよう に、資料のまとまりごとに記号を付与 します。受け入れ時にどのような状態 であったかを明らかにしておくためで す。いわゆる資料の「原げ ん秩ち つ序じ ょ尊重の原 則」(※)に基づいた処置です。

(5)

目録の作成

収納

くずし字が読めない!

資料が開けない…

配架

市内に所在する資料を受け入れるところから、資料の封筒

詰め、そして目録を作成し収納・配架するまで、一連の整理

作業を簡単にご紹介しました。こうした工程を経ることで、

資 料1点 ご と の 記 載 内 容 が 明 ら か に な り、 市 史 編 さ ん の 利 用

に供することが可能となります。

資 料 が 適 切 に 整 理 さ れ、 目 録 が 整 備 さ れ る こ と で は じ め

て、資料編や通史編を執筆する準備が整ったといえます。引

き続き、資料整理に精通した調査員を中心に、作業を進めて

いきます。

私たちが資料整理をしています

一般の店舗で販売されているコピー用紙や封筒は、酸性を示すのをご存じですか?酸性の紙を使用すると、空気と紙に含まれる酸が反応 を起こし、少しずつ紙から水分を奪います。これが資料の劣化の原因となり、資料をボロボロにしてしまうのです。

資料整理では、原則として資料ひとつにつき一枚の封筒を使い、文書箱に収納していきます。これらに使用されている紙は中性で、資料 の劣化を防ぎます。遠い先の未来まで、綺麗な状態で資料が利用できるよう、配慮は欠かせません。

目録作成後、資料を再び封筒に詰め、 文書箱に収納していきます。その際に は資料に過度なストレスをかけないよ うに収納することを心がけます。

スペースが空きすぎても歪みの原因に。 キツすぎず、緩すぎず、程よい空間を作 るよう心がけます。

封筒詰めされた資料の目録を作成します。資料1点ごとに、「いつ」「誰が」 「誰に」宛てて作成し、「どんな内容」をもつ資料であるかを読み解き、決め られたフォーマットに沿って、内容を入力していきます。目録の入力項目は、 「番号」「表題」「作成・出所」「宛所」「年月日」「形態」「点数」「備考」を設 けています。目録の記述は、できるだけ平易な表現を用いるよう心がけます。

資料を収納した文書箱は、整理が完了 した順に、書架に配架します。書架に 置けない大型の資料や、資料点数が大 量にあるものについては、床に簀の子 を敷き、その上に資料を置いた状態で 保管しています。

資料整理の中でも、資料の解読と目 録の作成は大変重要であり、かつ骨 のおれる作業です。調査員の方々に 現場の苦労話などをお聞きしました。

くずし字とは、行書や草書など、漢 字の部首などが省略された表現で書 かれた文字のこと。資料には公的な ものもあれば、私的なものもありま す。私たちに筆跡の癖があるよう に、資料を作った人にも癖がありま す。

長年たくさんの資料を見てきた調査 員でも、ひとつの文字の解読に手こ ずることが結構あるそうです。

紙製の資料は傷みやすく、虫害も必 ずと言っていいほどあります。中に は破損が酷く、開くのさえ困難な資 料も。そういったものは、無理にこ じ開けようとせず、そのままにして おく事もひとつの方法だそうです。

くずし字で書かれた資料の一例で す。矢印は、虫喰いの被害を受けた 位置を示しています。この資料は折 りたたまれた状態で保管されていた ため、虫害の痕跡が規則正しく並ん でいます。

(6)

旧陸軍飛行第五連隊、のちの米 軍基地の正門があったところで す。平成2(1990)年の市制50 周年を記念して、「市制50周年憩 いの場」がつくられました。基 地の跡地利用が進み、大きな変 貌を遂げた現在、ヒマラヤ杉が 往時をしのばせています。 ☞表紙の写真④

戦時中空襲を経験した自治体で は、戦災復興の財源をまかなう ため、競輪事業に乗り出した事 例が多くみられます。立川市で も、 昭 和24(1949) 年3月 の 市 議会で自転車競技場設置の請願 を採択したのを機に招致活動を 展開し、昭和26(1951)年に開 設の認可を得ます。開設以来、 多 く の フ ァ ン や 市 民 に 支 え ら れ、収益金は市財政にも大きく 貢献をしています。

☞表紙の写真⑤

昭 和38(1963) 年 の 立 川 市・ 砂川町合併後、砂川地区の開発 等による人口増加を背景に、学 校・保育園・スーパーマーケッ ト・郵便局・銀行・診療所など を併設した1600戸のマンモス団 地の建設が計画されます。昭和 41(1966)年9月1日に、けやき 台小学校が開校し、同年10月3日 には、けやき台団地も完成、入 居が開始されました。

☞表紙の写真①

米軍基地跡地の再開発により平 成6(1994)年に誕生した業務地 区が「ファーレ立川」です。約 6haの土地にオフィスビル・図書 館・映画館・デパート・ホテル など11の建物が並んでいます。 車止め・換気塔・街灯などの設 備と一体化した109のパブリック アートの総称が「ファーレ立川 ア ー ト 」。 世 界36か 国・92人 の アーティストによる作品が、訪 れる人たちに驚きと発見を提供 しています。☞表紙の写真③

大 正11(1922) 年 の 立 川 飛 行 場の建設とともに、貨物専用の 引込線が飛行場の東西に建設さ れました。戦後は米軍も使用し ま し た が、 昭 和52(1977) 年 に基地が全面返還され、それと ともに線路が撤去され、昭和55 (1980)年、遊歩道に生まれ変 わりました。

☞表紙の写真②

戦闘機・練習機などの航空機生 産で一躍名をはせたのが立飛で す。 大 正15(1926) 年、 東 京 市京橋区(現・中央区)にあっ た 石 川 島 飛 行 機 製 作 所 が 立 川 飛行場の隣地を買収し、昭和5 (1930)年に移転を完了しまし た。昭和11(1936)年、立川飛 行機と社名変更し、砂川村に工 場を拡張しました。立飛は、「赤 とんぼ」と呼ばれた九五式一型 練習機や、中島飛行機が設計し た一式戦闘機「隼」の生産に力 を注ぎました。

巡見及び本特集執筆にあたって、下 記の文献を参考にしました。市内の 図書館でご覧ください。

《参考文献》

・立川市教育委員会 1990『市制50周年 記念「写真集たちかわ」』

・立川市教育委員会 1999『立川の昭和 史 第二集 昭和初期の耕地整理と鉄 道網の発達』

・立川市教育委員会 2000『立川の生活 誌 第五集 映画の街とその時代』 ・立川飛行場に関する学習会編 1995

『昭和記念公園は飛行場だった―立川 飛行場に関する学習会の記録』 ・東京都立川市議会史編さん委員会

1992『立川市議会史 記述編』 ・南部自治会50周年記念誌作成委員会

2003『南部自治会50周年記念誌』 ・三田鶴吉 1976『立川飛行場史』 ・三田鶴吉 1983『立川飛行場物語』 大 正11(1922) 年 に 立 川 飛 行 場が完成すると、岐阜県から飛 行第五大隊(のちの飛行第五連 隊)が移駐しました。それに伴 い立川村の人口も増加し、翌年 には立川町になりました。立川 キネマは、大正14(1925)年完 成。多くの人に娯楽を提供し、 「映画の街立川」の先駆けとな りました。現在では案内板で当 時を知るのみとなっています。 ☞表紙の写真⑥

昭 和18(1943) 年、 立 川 飛 行 機株式会社(立飛)の工員宿舎 「 高 松 住 宅 」 と し て 建 設 さ れ た、二戸建平屋480戸の住宅団 地です。砂川村に位置していま すが、立川市の地名(高松)が 名付けられており、立川市に属 するような錯覚を与えることか ら、のちに、砂川村の南部を意 味する「南部住宅」に改称され ました。

旧陸軍飛行第五連隊

米軍基地正門跡

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右手に建つのは5階建ての給水塔(昭和13(1938)年建造)

アート散歩のお供に

ガイドアプリ

ファーレ立川 アートナビ

① 米軍基地正門跡地。道路を挟んで両脇に「市制50周年憩いの場」がつくられる  ② ファーレ立川アートと街並み

③ 立川キネマがあったことを示す案内板(右)と、巡見の様子(左)  ④ 平成28(2016)年12月にリニューアルオープンした立川競輪場

(8)

資料をよむ

 ~歴史民俗資料館所蔵の竹内氏寄贈縄文遺物から~

先史部会編集委員 

安孫子昭二

はじめに

先史部会(部会長 谷口康浩國學院大學教授)では、平成28(2016)年7月より、 向むかい郷ごう遺跡から出土した縄文 時代中期の遺物の整理作業を行っている。これらの遺物は、歴史民俗資料館が昭和5₇(1982)年7月に、当時市内 に居住されていた竹内氏から、市文化財保護行政の推進に役立てるために一括寄贈を受けた資料である。

遺物は、竹内氏が小・中学生だった昭和40年代終わり頃から50年代初め頃(19₇0年代前半)に、羽衣町三丁目交 差点の東南側付近の畑を地主に掛け合って独力で発掘したものという。その発掘自体は文化財保護法に抵触するた めに薦められるものではないが、小・中学生が文化財保護法の何たるかは存知しない時世の事である。それはとも かく、いま羽衣町の辺り一帯はすっかり宅地化され、遺跡の面影が残されていない。

向郷遺跡が初めて発掘されたのは昭和29(1954)年のことである。以来、市教育委員会による発掘調査や試掘調 査、立会調査が平成28(2016)年3月末までに104次に及んでおり、遺跡内の時期的な分布範囲の違いが次第に浮 彫りにされてきた。その中で竹内資料は、これまでに明らかにされてきた向郷遺跡の内容を補強する、極めて充実 した一括資料である。

先史部会では、貴重な資料を寄贈して下さった竹内氏の好意に報いる意味でも、資料の存在価値を現在の研究水 準で明らかにする必要があると考え、資料を整理して報告書を作成する予定である。

向郷遺跡の中の竹内氏調査地点

向郷遺跡は立川市内で最大規模をほこる縄文時代中期(約5500~4500年前)の集落遺跡である。国立市との境 界に近い錦町四丁目・羽衣町三丁目に位置し、東西約600m、南北約400m、面積およそ24haもの広大な範囲である (図1)。遺跡範囲南側は立川崖線で画されている。

和田哲2011「立川市向郷遺跡の集落規模」(『多摩考古』41  多摩考古学研究会)を改変

(9)

本遺跡を一躍有名にしたのは、昭和63(1988)年~平成2(1990)年に市営住宅の建て替えに伴って調査された 第15次地点で、ここからは290基からなる縄文時代中期後葉の大規模な環かんじょう状墓ぼ群ぐんが検出された。それをとりまく環 状集落の様相もうかがえる。これに対して、平成元(1989)年にたましん事務センターの建設に伴って調査された 第12次地点付近には中期中葉の集落の存在が確認されている。市教育委員会で竹内氏から遺物の寄贈を受けた当時 の担当者によれば、向郷遺跡の中期の集落は、埋まい没ぼつ谷だに※1をはさんで東西に向き合って広がっていたという。西側

の集落を代表するのが、第15次地点や第12次地点、竹内少年が発掘したとされる羽衣町三丁目交差点付近が相当 し、東側の集落は JR 南武線の東側にある第三中学校付近が相当するという。

はじめ、中期中葉の集落が台地の内側深くに形成されたのは、飲料水が得られる埋没谷が、立川病院の辺りを谷 頭として南東方向に入り込んでいたからであろう。集落はその後、中期後葉になると南側の第15次地点付近に移動 したのである。

遺物のこと

寄贈された遺物は、縄文時代中期の復元された土器16個体をはじめ、遺物整理用コンテナ(55cm ×35cm × 10cm)に土器片が32箱、石器類が1₇箱もあった。このうちの完形土器優品5個体は歴史民俗資料館に常設展示さ れているので、ご覧になった方も多いであろう(写真1)。

遺物を広げて整理してみると、竹内少年は、復元できるような目立った土器片だけでなく、微細な無文の土器片 や石器の小剥片などもじつに丹念に取り上げている。掘ってきた遺物は丁寧に水洗いして、発掘した日付けから出 土地点や住居番号まで、ポスターカラーで注記している。また土器片は個体分類され、木工用ボンドで接合し、不 足の部位は石せっ膏こうで補強し器形復元している。これが小・中学生が一人でやった所業なのか、竹内少年はいったいど こでこのような正統な考古学的手法を身につけたのだろうか、あたかも学術的な発掘調査から整理作業までを、独 力で遂行しているのである。

土器 完形に復元された土器が16個体あったが、さらに整理を進めると修復可能な土器が14個体にのぼった。おお

※1…かつては谷であったが、現在は埋まって平坦になっているところ。

写真1 歴史民俗資料館に展示されている竹内氏寄贈の完形土器 ①~④:勝坂式土器、⑤加曾利E式土器(歴史民俗資料館提供)

(10)

まかに土器の時期を識別すると、中期中葉の勝かつ坂さか式期(東関東の阿あ玉たま台だい式をわずかに含む)が256個体以上、中期 後葉の加か曾そ利り E 式期(連れん弧こ文もん・曽そ利り式を含む)が35個体以上であり※2、中期中葉が約90%と圧倒的に多い。

勝坂式土器には、主に食べものを煮炊きする深鉢類と盛りつける浅鉢類の器形があるが、9:1の割合になろう か。深鉢にもいくつもの型があるが、口縁には装飾的な大きな把とっ手てや突起が付され、体部には粘土紐を貼り付け、 あるいは太ふと沈ちん線せん※3で文様が描かれるなど、量感に富む豪壮な作りが多い。出土する大多数はそうした土器の一部

をなす破片である。

深鉢の形態が文様装飾の変化に富むのに対して、浅鉢は器外面よりも内面が丁寧に器面調整されている。

石器 石器には打製石せき斧ふをはじめスクレイパー※4、石皿、磨すりいし、 叩たたきいし、石せっぴ※5などがある。打製石斧は188点で

全体の66%を占めてもっとも多い。次いでスクレイパーが82点で30%である。打製石斧やスクレイパーに用いられ た石材は、砂岩、ホルンフェルス、頁けつ岩がんの順に多い。これら石材の大方は多摩川畔で調達できるので、石器は河原 で製作したのだろうが、集落内でも河原から石材を持ち込んで石器製作したようで、大小の剥片が約23.5kg もあ る。

打製石斧は4:6の割合で完形品よりも部分欠損の方が多い。部分欠損品には、頭部側あるいは刃じん部ぶ側が欠損し たものと頭部、刃部の残欠品もあれば、頭部・刃部の両端が欠損したものも結構多い。欠損の仕方から、これら打 製石斧の使用法を復元できるかもしれない。

スクレイパーには半月形とハマグリ形がある。半月形は、大きく横剥ぎした剥片の背を調整し、先端側がそのま ま鋭利な刃部となるもので、44点ある。往々にして打製石斧や不定形石器とされてきたが、横剥ぎ剥はく片へんのために頭 部側、刃部側とも斜めに削がれており、弥生時代の石包丁に似た恰好である。ハマグリ形は38点で、大きめの円えん礫れき (岩石の破片で丸みを帯びたもの)から剥ぎ取った剥片の先端部を刃部とするが、厚手剥片は礫の表面を剥ぎ取っ て掌に収まりやすいように調整している。大きめに剥ぎ取られた剥片のようだが、刃部には細かな使用痕が認めら れる。

おわりに

かつて考古ボーイだった竹内氏から資料の一括寄贈を受 けて35年になる。若かりし竹内氏が心血を注いで発掘した 縄文遺物が、いまようやく立川市史の一環として整理さ れ、学術的に日の目を見ようとしている(写真2)。なお、 現在は整理段階であり、資料の詳細な検討は報告書で行う ため、資料の見解が本稿と異なる可能性があることをご了 承いただきたい。

※2…縄文土器に施された文様や文様を付ける方法の違いなどに基づいて、勝坂式や加曾利 E 式、曽利式などと分類される。 ※3…縄文土器に、棒状の道具で描かれた太い線のこと。

※4…イノシシやシカなどの獲物の毛皮に付着する脂肪をこそげ取るための石器。

※5…獣肉などを裁断する個人用と思われるナイフ。外形が匙に似ているため命名された。中期には、しばしば粗雑な石匙が墓ぼ壙こうから出土する。

①スクレイパー(半月形) ②スクレイパー(ハマグリ形) ③石匙 (歴史民俗資料館提供)

写真2 整理作業風景

(11)

資料提供のお願い

資料提供のお願い

大募集します!

文書 絵図・地図 地域の年中行事・信仰

市史の編さんには、市民のみなさまがお持ちのさまざまな資料や情報の調査・収集が不可欠です。 ご提供いただける資料やお聞かせいただけるお話がございましたら、

市史編さん担当(☎(042)506-0021)までご連絡ください。

関係者は従事者証を

携帯しています

※従事者には、編集委員/特定部会委員/ 主任調査員/調査員の種別があります。

平成28年10月∼平成29年3月活動報告

月 日  活動内容 月 日 活動内容

10 月

7日 市民協働作業(古文書輪読会)

1月

6日 市民協働作業(古文書輪読会) 10 日 民俗・地誌部会滝ノ上会館座談会 13 日 市民協働作業(古文書輪読会) 16 日 現代部会市内巡見 23 日 第5回・立川市史編さん委員会会議 21 日 市民協働作業(古文書輪読会) 31 日 第2回・現代部会会議

11 月

1日 先史部会市内巡見・打ち合わせ 2月 3日 市民協働作業(古文書輪読会) 4日 市民協働作業(古文書輪読会) 17 日 市民協働作業(古文書輪読会) 18 日 市民協働作業(古文書輪読会)

3月

3日 市民協働作業(古文書輪読会)

12 月

2日 市民協働作業(古文書輪読会) 6日 第1回・先史部会会議

4日 第3回・近代部会会議 16 日 第5回・立川市史編集委員会議 16 日 市民協働作業(古文書輪読会)

17 日 市民協働作業(古文書輪読会) 18 日 第3回・近世部会会議 たちかわ物語 vol. 3発行

第3回・民俗・地誌部会会議 20 日 第2回立川市史編さん関連講演会 24 日 第3回・古代・中世部会会議 25 日 第4回・民俗・地誌部会会議 26 日 第4回・近世部会会議

受贈図書・資料提供者(平成27年8月1日から平成28年12月31日まで)

多くの方々から、図書や資料をご寄贈いただきました。以下にご芳名を掲載し謝意を表します。

(図書・資料を借用させていただいた方々のご芳名は除きます)(敬称略・五十音順)

【個人】安藤明義、石川榮次郎、石塚勝巳、岩崎五六、牛米努、榎戸フミ、大澤篤、小川冨史、大山彰 子、荻野博之、片居木克昌、桂四郎、金澤泰雄、小島つね子、佐藤静夫、篠原房子、清水康一、須崎 昭夫、鈴木功、鈴木菊郎、鈴木武、高橋靜代、玉木直、豊泉喜一、中島好以、中野 右、野沢勝治、 籏野和良、平澤紀代子、深沢タカ、松田忠明、望月久、MIKE SKIDMORE。

(12)

講演会の様子

白井哲哉氏 松尾正人氏

市史編さん広報紙

vol.3

平成29(2017)年3月17日発行

発行 立川市産業文化スポーツ部地域文化課市史編さん担当 レイアウト 山下祐香理

〒190-8666 東京都立川市泉町1156-9

 TEL (042)506-0021 / FAX(042)525-1601  E-mail [email protected]

 URL http://www.city.tachikawa.lg.jp/chiikibunka/sisi/hensanshitu/shishi_top.html

印刷 ぎょうせいデジタル株式会社

平成28年3月27日(日)、市史編さん事業での第1回目とな る講演会「『市史』を編むということ」を開催しました。

講師には立川市史編さん委員会委員長の白井哲哉氏(筑波大 学教授)、八王子市史編さん審議会会長の松尾正人氏(中央大 学教授)をお招きしました。当日、会場となったたましん事業 支援センター(Win センター)では、市外の方も含め61名の 参加者が熱心に耳を傾けました。

講演会は清水市長の挨拶ではじまり、白井氏から歴史の編さ んとはどういう仕事なのかについて、松尾氏から前回の立川市 史の成果から見える幕末維新期の北多摩地域と立川についてお 話しいただきました。また、休憩時には「写真でふりかえる立 川の今昔」をスライド上映しました。

質疑応答やアンケートでは、昔の立川を懐かしむ声ととも に、市史編さん事業へのご期待のお言葉をいただきました。

第2回関連講演会「近現代立川の発展と伝統文化」のおしらせ

■日時 平成29年3月20日(月・祝)14:00 ∼ 17:00(13:30開場) ■会場 女性総合センター5階第3学習室(曙町2−36−2)

■定員 50名(事前申込順)入場無料

■講師 保坂一房氏(たましん地域文化財団歴史資料室長・立川市史編さん近代部会長) 「昭和初期の立川駅改良計画」

中野泰氏(筑波大学准教授・立川市史編さん民俗・地誌部会長) 「柴崎地域の神社祭礼」

市史編さんHPはこちら からアクセスできます。

参照

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